松本人志と手作りおもちゃと創造力の話
松本人志の幼少期のエピソードが印象深い
ダウンタウン松本人志の本を、中学生のころに読んでいた。
遺書か松本かどっちかだと思う。
強く印象に残り、未だに私に影響を与えている話がある。
内容はこんな感じ。(私の中で脳内変換されてる部分もあると思うのでご了承ください)
・松本人志は幼少期から貧乏な家庭で育った。・子どものころCMで見た、創造力を養う知育玩具がどうしても欲しかった。(たしかこういうの)
・でも親は絶対買ってくれないだろう・そうだ、身近にあるもので作ってみよう!・創造力を養うおもちゃを買わなくても、すでに創造してるやん(オチ)
この話が好きで、ずっと心に残っている。
子どもは無いなら無いなりに補おうとする。
そこに創造力を伸ばすヒントがある。
もちろん必要なものは買わないといけない。服とか文房具など。おもちゃも必要だろう。
小学生になったら、お小遣いもいる。自分の欲しいものも明確になってくる。
でも、まだ幼いうちは、おもちゃよりも子どもとどう一緒に過ごす時間かが大事だと思う。
創造と想像によって広がり続ける遊び
私の家には子どものころ、おままごとのおもちゃが一式あった。それで遊ぶのが楽しかった。
だが同じおもちゃばかりだと飽きる。遊びが広がらない。ワンパターン化する。
それよりも楽しかったことがある。
それが庭で行うおままごと遊びだった。
段ボールと傘で家を作る。食べ物は公園で拾ってきたドングリや草の実。茶碗は捨ててあった空き容器。お箸がないよ、となれば手ごろな枝を拾ってくる。
実は、なにひとつ買い与えられたものがない。でも何よりも面白かった。
なぜか。それは広がりがある遊びだから。
ままごとよりも道具を作ることや見つける楽しさが加わる。想像と創造によって、遊びがどこまでも発展する。終わりがないのだ。
おもちゃはねだれば買ってくれたと思う。だが、ハサミ、ノリ、テープ、折り紙、筆記具、段ボール、空き箱、画用紙、これらがあれば何にも要らない子だった。
かまぼこ板やプレゼントについてくるリボンがあれば、いつ使おうかと心が躍っていた。
押しつけになってしまうが、自分の子どもたちも作る楽しさや工夫する面白さを幼少期から体験してほしいと思う。
知識は就学してから、知恵は幼児期から
知識・・・ある物事について知っていることがら。
知恵・・・事に当たって適切に判断し、処置する能力。
知識は小学校に入ってから勉強を通じて習得して行けばよい。
しかし、知恵は幼いころからつけていく必要がある、と思っている。
特に、子どもは遊びを通じて膨大な知恵を得て、遊びによって動機づけができる。
紙飛行機をよく飛ばすにはどうしたらいいか、摘んだ野花はどうすれば長持ちするか、等。
ああしたい、こうしたい、これがほしい、の中から、道具の使い方を覚え、花の名前を覚え、太陽はどちらから上るかを理解していく。
それが知識にもなっていくのだ。
もし教科書に載っていない内容だとしても、不要なものはない。
遊びの内容によって、子どもの知恵のつけ方、ゆえに知識も大きく変わる。
おもちゃを否定するわけではない。むしろあったほうが良い。興味や関心も広がる。ひとつのおもちゃをとことんやり込むことで集中力もつく。親子の絆も深まる。テレビゲームやアニメもあっていい。実際、うちもお下がりやプレゼントのおもちゃであふれているし、よくアニメを見せている。Youtubeをみて親子で爆笑して1時間が過ぎることもある。
重要なのはバランス。
欲しいものをお金で解決する、だけではなくまずは工夫してみる。
自分の知恵で、物事がより良くなるということを少しずつ分かってもらいたい。豊かな時代だからこそ大切なことだと思う。
子どもと作る手作りおもちゃ
とここまで偉そうなことを申し上げたのだが、所詮、お金がない事の言い訳だ。
その結果としての自作おもちゃがふがいない出来栄えになっており、恥ずかしい限りである。
平仮名あそびができる手作りおもちゃ「文字パズル」
最後に、多分マシな部類に入る作品(?)を合わせて紹介しておこう。
平仮名覚えだした頃に作った自作の「文字パズル」
4歳の子どもと、言葉づくり(しりとり)をしながら遊んでいる。
100均のマグネットシート(ハサミでカット可能)に油性ペンで字を書くだけ。
イイ感じの和菓子の空き箱に収納する
↑文字を並べて言葉を作る
↑どんどん言葉を作っていく
↑どんどんつなげていく
※あ行とか、よく使う文字は複数枚用意しておく。
もう少し大きくなれば、全部の文字をシャッフルしていくつ言葉を作れるか競ったり、
並べ替えてことわざをつくったり(クイズバラエティでよくあるやつ)工夫次第でかなり広がる遊びができる。
いずれまたご紹介できれば。